『上陽賦 運命の王妃』は実話なのか!?モデルは誰?そんな謎に迫る!

上陽賦 運命の王妃 実話 実在 歴史に浸る!

皆さんこんにちは。

中国時代劇ドラマ研修室のHitOです。

9月14日からBS12でチャン・ツィイー主演ドラマ『上陽賦~運命の王妃~』の放映がはじまりますね!

今回は、『上陽賦~運命の王妃~』が実話にもとづいたドラマなのか!

そこを調べてみました。

時代背景を知る事で、ドラマの理解度が進み面白さが倍増するはず!

是非、ご覧ください。

『上陽賦~運命の王妃~』再放送!?何処でみれる?全部で何話あるの?

国際的にも有名なハリウッド女優チャン・ツィイー主演でおくる壮大な歴史大作

『上陽賦~運命の王妃~』

BS12トウェルビにて、以下にて放送開始のようです。

上陽賦 運命の王妃
BS12トウェルビ 

2024年9月16日(月)毎週月・火の16:00スタート(2話連続放送)

※第1話のみ、17:00スタート(1話のみ)

≪オリジナル話数(全68話)版無料BS発放送≫って書いてあるので、途中カットされている部分やオリジナルで編集された場面が追加されているのかしら?

全68話とありますが、以前BSプレミアムで放映されていた時は43話が最終回だったんですよね。

調べてみると、1話の放送時間が違うみたい。

まさかの25話分のオリジナルが加わったかと思いましたが、そこまで大きな差はなさそうです。

有料であれば、Netflixやamazonプライムでも視聴可能です。

しかし、BS12で放映されますのでこの機会にオリジナルも含めて見直してみたいと思います!

『上陽賦~運命の王妃~』は史実にもとづいた実話なのか!

残念ながら、『上陽賦~運命の王妃~』は、実話ではなく仮想世界の物語です。

いわゆる中国歴史フィクションドラマですね。

原作は、「帝王業」という中国の人気小説。

架空の成(セイ)王朝での物語となります。

しかし、皇后が実在する琅邪王氏出身と発言していることからも、史実の影響を多大に受けて作られたドラマだということがわかります。

『上陽賦~運命の王妃~』の時代背景は?

では時代背景は?というと、

成王朝に、あぶの叔父である皇帝が存在していました。

皇帝は、秦の始皇帝以降にか存在しない為、秦以降でしょう。

最近、中国ドラマ『始皇帝天下統一』を見ているのですが、戦いの中で使われている戟・鉾などの武器がとても似通ってます。

そして、琅邪王一族が栄えたのが前漢~魏、呉、蜀と別れた三国志の時代。

王皇后が、琅邪王一族の子孫だというのですから、後半の三国時代が近いのでしょう。

また、後漢時代に失われたという玉璽が、王蘭の手元に渡るエピソードがドラマの中にでてきます。

そんなところからも、ちょうど三国時代(220~580年)をテーマにして作られた作品だということがわかりますね。

ちょっと裏話 ~失われた玉璽とは~

秦時代、霊鳥の巣で見つかった宝玉に始皇帝が「受命于天既壽永昌」と刻ませ璽(印章)としたもの。

この玉璽を持つものこそ皇帝である証となり、代々皇帝に引き継がれていたのですが、後漢献帝の時代に、

董卓が乱を起こした事により、玉璽は紛失します。

三国志序盤に出てくる董卓の乱ですね!(ちょっと頭の中で繋がった笑)

その後、どこで見つかったかというと・・・董卓討伐の戦で焼け野原になった洛陽の古井戸の底から、呉の孫堅が伝国璽を拾ったという伝記が残っているそうです。

王儇(おうけん)のモデルは実在している?

チャン・ツィイーが演じる王儇(おうけん)は、はっきりとは述べられていませんが、南朝宋時代の文穆皇后と武敬皇の二人をモデルにしているのではないかと言われています。

文穆皇后 王憲嫄(おう けんげん)

428年〜464年
南朝宋 孝武帝劉駿の本妻
琅邪王氏一族出身
寵愛を受け、6人の子供を出産。
穆という字は、やわらぐ、なごやか、つつしむ、むつまじいという意味合いを持つ。
生前の孝武帝との仲睦まじさや、徳があり慎み深いなごやかな性格だったのではないかと想像される。
享年38歳

孝武帝劉駿は、在位中中央集権を推し進め、側近に寒門を登用するなどの政策をおこなったことから、蕭綦を彷彿させる。

武敬皇后 臧愛親(ぞう あいしん) 

361年~408年
南朝宋の武帝劉裕の本妻
公主1人を出産
暮らしは質素でつつましく、親族を推挙することもなかった。
享年48歳
劉裕が即位する前に死去しているため、即位後にに敬皇后と追諡された。
皇后という名はついているが、実際には栄華を極めることもなく、戦場を駆け巡る旦那を賢妃として陰ながら支えていた様子が伺える。

武帝劉裕(りゅう ゆう)は、南朝宋の初代皇帝。
低い家柄出身の兵士ではあったが戦場で活躍し成り上がっていった人物
国内外の敵を排除し、粛清することで権力を拡大させ、最終的には皇帝の座を奪い武帝となった。
貧しい家柄であったことと、戦場で活躍し成り上がっていった様子は蕭綦を思わせる部分がある。

蕭綦(しょう・き)のモデルについては、南朝宋の初代皇帝になりあがった武帝劉裕の方が近しい気がしますが、王儇(おうけん)については琅邪王氏一族でもある文穆皇后の方がしっくりきますね。

色々調べていくと、南朝梁の武帝蕭衍の即位前に死別した正室郗 徽をモデルにしたのではないかと述べられている方もおりましたので、そちらもご紹介しておきましょう。

武徳皇后 郗徽(ち き)

468年~499年
南朝梁の武帝蕭衍の本妻
幼い頃から聡明で、隷書(当時の漢字)を得意とし、史伝(歴史書)を読むことができたという。
美しく才女として名が広まることで、宋の後廃帝や安陸王蕭緬に求婚を受けているが断り、蕭衍に嫁いでいる。
蕭衍とは、夫婦仲睦まじく、皇女3人を出産。
享年32歳
蕭衍は、跡継ぎの為に妾を迎えるが、郗徽を想い、亡くなった後も皇后を立てることはなかった。

武帝蕭衍は前漢蕭氏一族
若い頃より文武両面において秀でており、君主である和帝から禅譲(血縁者でない有徳の人物へ帝位を譲ること)を受け、帝位を継ぎ南朝梁を興した人物。

聡明であり、3人から求婚されており、夫の姓が同じ蕭である!

確かにドラマにおける王儇(おうけん)と重なるのは、武徳皇后 郗徽が一番近いかもしれませんね!

まとめ

『上陽賦 運命の王妃』

実話ではなく仮想世界とはなっていますが、中国三国時代~南北朝時代の史実にかなり影響を受けているドラマだということがわかりました!

当時の歴史や当時活躍していた人物を学ぶことができて、とても面白かったです。

16日からBS放送が始まる『上陽賦~運命の王妃~』

歴史背景やモデル像を知る事で、皆さまにとってよりドラマを楽しむことができるできますように!

Have a fun your China drama life!

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