みなさん、こんにちは。
中国時代劇ドラマ研究室のHitOです。
昨今、中国の時代劇ドラマといえば、仮想世界を描いたファンタジーやフィクションドラマが人気です。
が、しかし、最近の私は、史実が忠実に再現されている本格的な歴史ドラマに嵌まっています!
それは、『始皇帝 天下統一』
秦の始皇帝といえば、世界史の教科書で習う誰でも知っている人なのでは!?
春秋・戦国時代に中国を統一した人くらいにしか思っていなかった人でしたが、ドラマを見ていくにつれて
こんなに波乱万丈な人生をおくり、沢山の逸話があった人なのかと驚きが隠せません。
そんな中で、私が一番気になった始皇帝の母と嫪毐(ろうあい)のスキャンダルについて今回は調べてみました。
始皇帝を題材にしているドラマは多数!日本ではキングダム!始皇帝の母を題材にしたドラマも!
秦の始皇帝を題材にしているドラマって多いんですね。
日本では、原泰久の漫画キングダムが、TVアニメ化され実写版の映画にもなって一躍大ヒット!
中国でも、『麗姫と始皇帝~月下の誓い~』や『コウラン伝 始皇帝の母』でドラマ化されています。
中でも、『始皇帝 天下統一』は、時代考証に力を入れ、極限まで史実に忠実に始皇帝の生涯を描き出しているドラマ。
始皇帝についてのドラマを見るにあたって、必ずみな驚くところが始皇帝の母趙姫と嫪毐(ろうあい)の一大スキャンダルなのではないでしょうか?
私は、中国ドラマでよくあるフィクションかなと思ったのですが、『始皇帝 天下統一』に限ってそれはありえない!
史実との違いをもう少し詳しく調べてみたいと思います。
始皇帝の母はどんな人?
始皇帝の母は史書に趙姫としか書かれておらず実名は不明です。趙姫というのは趙の出身というだけの意味で使われています。
趙姫は、趙の豪族の娘で、当時商人であった呂不韋の妾でした。
秦の皇子であった嬴異人に乞われ、呂不韋は自分の妾であることを隠して趙姫を差しだし、後の始皇帝となる政を産んでいます。
しかし、荘襄王は即位してたった3年で亡くなった寂しさからか、趙姫と呂不韋の不倫関係が再熱。
これが公になることを恐れた呂不韋は、趙姫との関係を清算するために嫪毐(ろうあい)を趙姫にあてがいました。
『始皇帝 天下統一』では、趙姫と呂不韋との間には、過去の関係性をほのめかす場面はありましたが、その後の不倫関係をあらわすような場面は一切ありません。中国当局からの横やりで編集せざるを得なかったのかもですが・・
しかし、『史記』などによれば趙姫は淫乱とされており、秦の丞相に就任していた呂不韋や偽宦官として後宮に入った嫪毐(ろうあい)と密通し、嫪毐との間には2人の息子もうけたと記載されています。
実際に宦官である嫪毐に関しては国を揺さぶるような一大事を引き起こしていますので本当なのでしょう!
呂不韋との不倫に関しても、かなり信ぴょう性は高い気がしますが、息子の嬴政からすると秦の皇室の一大スキャンダルであることは確かですね!
ここで裏話:趙姫は本当に淫乱だったの?
秦の法によれば、夫が死亡した後は妻は他の者と再婚しても良かったそうです。
当時は、儒教は主流ではなかったので、貞節は重要視されなかった様子。
他にも宣太后のように、王の死亡後に太后が情人を囲うケースはあったみたいです。
なので、荘襄王が死亡した後、趙姫に情人が居たことについては特に重要視されなかったようですね。
しかも何人も囲うこともなく嫪毐1人だったことからも、淫乱というわけではなく純愛だったのではないかなと感じます。
『始皇帝天下統一』相関図で、始皇帝の母趙姫の恋愛模様を理解しよう!
ここで、『始皇帝 天下統一』における始皇帝の母である趙姫の恋愛模様を相関図としてあらわしてみました。
図で表してみると、史書では淫乱だと記されていた趙姫ですが、
呂不韋の妾→嬴異人に嫁ぎ荘襄王の正妻となる→荘襄王亡きあと嫪毐を愛人にする
特に二人同時進行で浮気をしていたわけでもなく、淫乱とまでは言えないのでは?
皇太后という立場だけに、嬴政以外に子をもうけなければ問題がなかったのではないかなと感じます。
しかし、正当な後継者である嬴政にとっては、母に愛人が居たことよりも子供が存在することに対する危機感が強かったはずです。
実際に、嬴政が子供たち亡き者にするであろうという不安から、趙姫と嫪毐が謀反を興した説もあります。
始皇帝の母の愛人 嫪毐(ろうあい)とは?
嫪毐は、もともと平民の出身であり、呂不韋の配下でした。
とあるように、当時の秦の権力者である呂不韋に見出され、宦官を装い、秦の太后である趙姫の元に送り込まれています。
宦官であるにもかかわらず2人の子を成していることからも、呂不韋が故意に嫪毐を太后へあてがったことがはっきりしています。
偽宦官だったということですね!
嫪毐は太后との密接な関係を築いていくことで、彼女の信頼を得て宮廷内での影響力を強めていきます。
ここで裏話:嫪毐は太后がはまり込むほどイケメンだった?
『始皇帝 天下統一』における嫪毐は、顔立ちはイケメンでしたね。いかにもヒモ男という何とも言えないうさん臭さがにじみ出てましたが(笑)
しかし、実際の史実にはイケメンだったという記載はみつかっていません。
それよりも夜の相手としての凄さが描かれているドラマや記事が多いのが事実です。
イケメンというよりは、1人寂しく後宮で過ごす太后にとって、甲斐甲斐しく尽くす嫪毐のやさしさが唯一の癒しだったのでしょう。
嫪毐(ろうあい)は単なる宦官(愛人)では終わらなかった!
嫪毐(ろうあい)は凡人ではなかった。
単なる宦官(愛人)で終わるかとおもいきや、太后の信頼を得て土地を入手し住居を構え、一財産を築き上げます。そして各国からの食客も多く抱え込み、徐々に権力を増していくのです。
そして、宦官にも関わらず太后から爵位を与えられ長信侯に封じられます。
呂不韋も、太后である趙姫にあてがった愛人である宦官嫪毐(ろうあい)が、こんなに権力を有するようになるとは夢にもおもっていなかったでしょう。
当時、嫪毐の家の奴婢は数千人、仕官を求める舎人は千余人もあったそうです。
このころになると、嫪毐は秦の政治を左右するほどの権力を有し、呂不韋に匹敵するほどの力を持つようになっています。
嫪毐(ろうあい)の乱!そしてその真相は!
嫪毐の絶頂期には、当時の秦の大臣達は呂不韋に付くべきか、嫪毐に付くべきかで大いに揺れていたという話も残っています。
それほどまでの権力を有しましたが、房事での出世は周囲の評判が悪いのは当然。
密告により、嬴政に太后との密通が露見したことから、嫪毐は御璽および太后の印璽を盗み出し、謀反を起こそうとします。
既にそれに備えていた秦王政は、即座に対応し嫪毐の軍を鎮圧。
嫪毐は逃亡しましたが、最終的には捕らえられ車裂の極刑に処せられました。
この嫪毐の乱。実は、実権のない嬴政が親政を行うために画策したという説があります。
成人を迎えた秦王嬴政が親政を行っていくには、相邦の呂不韋だけでなく嫪毐をも排除しなければなりません。
太后と嫪毐の関係だけでなく二人の子の存在も脅威になることから反乱を誘導。
この王室のスキャンダルを作った原因を作った呂不韋も共に失脚させることが目的だったといわれています。
実際に、嫪毐と二人の子は殺され、太后は雍城に幽閉。
そして、その後呂不韋の地位も揺るがしました。
嫪毐の乱をきっかけに、秦王嬴政は自らの権力基盤を盤石にし、始皇帝としての偉大な統治へと進むことができるようになったのです。
真実だった趙姫と嫪毐(ろうあい)の関係!他のドラマやアニメではどうなのか!比べてみたい『始皇帝 天下統一』と『キングダム』
始皇帝の母趙姫と嫪毐(ろうあい)について色々と調べてみましたが、本当に実際にあった秦の皇室の一大スキャンダルでした。
それを忠実に『始皇帝 天下統一』では描かれています。
多少の脚色はあるものの、『キングダム』や『麗姫と始皇帝』、『コウラン伝』などと見比べてみても面白いかと思います。
早速、私はキングダムのTVアニメを見始めましたが、時代背景や当時の出来事が理解できている為に、天下統一のドラマとは違った目線で描かれているのが新鮮で、そんな視点で考えることもできるのかと夢中になって今みています。
『キングダム』では、趙姫と嫪毐はどのように描かれているのでしょうか?
『キングダム』を見た方も、是非『始皇帝 天下統一』を一度ご覧になっていただくとまた違った楽しみ方ができると思います!お勧めです!
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